点の記
はじめまして!

はじめまして!

私自身についてどんな人か知っていただくために、私の経歴を書いておきます。

出  身:香川県高松市
生年月日:昭和46年1月23日

高等学校

あの頃はなんだったのか…高校の文化祭

高校時代の私は、数学・物理・化学が得意で、歴史は興味無し、という理科系でした。しかし、なぜか急に歴史の勉強も必要だと思い、自分で勉強し始めて、浪人して社会科学系の学部を受験することにしました。人間の営み全般を学問領域とする社会科学は魅力的に思えました。そんなこんなでいきなり文科系になります。

早稲田大学商学部

卒業式の後、大隈講堂を背に

大学は、経済の勉強をするべく経済系の学部をめざしました。入試科目で得意の数学が選択できることがあって、早稲田大学商学部を受験しました。経営学の講義が多かったですが、経済学の講義もそこそこありました。ゼミでミクロ経済学を勉強しました。

早稲田大学では、友人に恵まれたこともあり、本当に楽しく過ごしました。(今となればですね。当時は、悩み多き大学時代で、自分が何をしているのかよくわかっていませんでした。まさに青春時代。)

東京機材工業株式会社

白井機材センターで先輩・同僚と焼肉

大学時代には、将来設計を考えたこともなく、できれば就職したくないよなあ…などと現実逃避気味だったので、就職活動開始は大幅に遅れ9月くらいでした。このような状態なので、じっくり就職活動に取り組めるはずもなく、また「結局、会社は入社してみないとわからない」などと思っていたので、縁だけを大切に考え、一番最初に内定を出してくれた会社に行こうと思って、就職活動をしていました。もうギャンブルみたいですが、一応、応募する企業は自分なり厳選していました。といっても、わかりやすい名前の会社が良いと思っていたので、「日本(業種名)工業」みたいな古くからありそうな、シンプルな名前の会社をピックアップしていただけですが…。それでピックアップした企業に電話して「就職したいんですけど面接してください!」みたいな感じでやってました。

そうした名前の企業の一つである東京機材工業株式会社の面接を受けたところ、その面接で社長にいきなり「君は内定だ!」と言われてしまい入社を決心しました。東京機材工業株式会社では、従業員20名と少人数ながら、首都高速や大江戸線など巨大国家プロジェクトに関わる仕事が多く、貴重な経験ができました。給料もすごく良かったです。業界で存在感のある、良い会社に入社できて良かったと思っています。東京機材工業株式会社は2022年現在、従業員100名を超えているようです。すごい!

社員旅行(中国)にて

AIU保険会社

その後、東京機材工業株式会社を離れ、自らの営業力を確かめようとAIU保険会社に入社します。あんな良い会社なんで辞めたの?と思わなくもないですが、いつかは独立したいと思っていたので、AIU保険会社で自営業者として、保険代理店の営業を経験しました。外資の会社なので、基準になる成績を達成しないと、あっさり契約終了になるシステムでした。ノルマって本当にあるんだと思いました。がんばったので、1年後の契約更新をむかえることができました。(同期入社60名中2名しか契約更新できなかった。)この後2年目突入の予定だったのですが、香川県での仕事の紹介があったので、AIU保険会社は再契約せずに退社することにしました。ただ、1年だけだったのですが、AIU保険会社で生き残れたことは大きな自信になりました。瞬間的に全国9位になりご褒美で松坂牛500gもらって焼肉したのは良い思い出です(笑)。自営業を希望する人たちと仕事ができて楽しかったです。

労働組合事務局・香川県地方自治研究センター

メーデーにも参加しました

香川県での仕事というのは、労働組合の事務局員と香川県地方自治研究センターの事務局員の仕事でした。これまで利益を追求する企業にばかり所属していたので、法人以外の「団体」という組織の一員になることで社会に対する見識を拡げることができました。

労働者の権利という歴史的な主張を第一に掲げる組織は、本質的に企業と違った存在でした。資本主義社会にいれば企業という組織形態が、普遍的に思えるかも知れませんが、そうではないことに気づかされました。

人間の歴史という観点で考えたなら、企業のような営利団体は相対的に新しい存在です。

団結する権利がなぜ権利として主張されるのか?それは団結というものが、人間にとって普遍的に存在したからであり、普遍的に存在したからこそ、奪われるまで権利として認識されることが無かったと言えるかも知れません。労働組合での経験は私に、長い歴史で物事を考えるということを教えてくれたと思います。

また香川県地方自治センターで地方活性化について研究活動をしたことで、行政サービスの重要性を認識しました。
組合員の相談を聞いたり、交渉の作戦を組合員と一緒に考えたりして、一定の成果が出た時はうれしかったです。そういう経験を通じ、人の役に立ちたいと考えるようになりました。もともと、東京機材工業株式会社の時代からアドバイスをしたり、アイデアを出すことは好きだったのですが、営利とは少し違うこうした役の立ち方があると知り、独立するために、国家資格に興味を持ち始めたのもこの頃でした。

そして土地家屋調査士に!

シンボルタワー様の御利益に期待(笑)

国家資格の中でも、最初に興味をもったのは、行政書士でした。通信教育のパンフレットの合格者で、開業された方のお話を読むと、行政書士は、道具がいらない点で、開業しやすいと思ったからです。興味を持った時点で試験まで半年以上あったので、早速、書店で行政書士の参考書を買ってきて勉強を始めました。それでその年合格基準点の180点ピッタリで合格しました。
合格したら、急に自信がついてきて、他の資格も取ってから起業しようと思い、土地家屋調査士、測量士、宅建士なども一気に取得しました。土地家屋調査士はアガルートに申し込みました。コロナ禍で通年と試験スケジュールが変わってしまい午前の部から受験せざるを得ませんでした。合格発表を見るのが怖くて、合格発表を見る時は、手が震えました。自分の番号を見つけた時は本当にうれしかったです。
こうやって振り返ると、行政書士試験の合格が一番の転換点ですね。実際、行政書士試験合格の時は、何かが始まったような気がしてわくわくしました。
現在は、開業をして、責任感を感じながら仕事をしております。まだまだこれからですが、携わった物件は全力で取り組みます。不動産は、どれ一つとして同じ案件はございません。皆様の記憶に残るような丁寧な調査を心がけてまいりたいと思います。よろしくお願いします。